小江戸から古江戸へ

小江戸から古江戸へ 発想の転換を

数年前、優れた観光のマチづくりに取り組んでいる・・・として、川越市は岩切章太郎賞をいただいた。その表彰式に立会った放送作家の永六輔さんの言葉が忘れられない。

「川越は小江戸といわれているが、小江戸とは小さな江戸という意味ではない。小粋とか、小洒落たとか、小ざっぱりとかいう時の小であると思う。小は主題より強調する意味のある小だと思う。小江戸とは江戸の伝統や文化を確かに伝えているマチの証である・・・」というような挨拶をされたのである。

川越の頭にキャッチフレーズ的に小江戸の文字がついたのはいつごろからだろうか。昭和40年代にJRの前身である国鉄がディスカバージャパンのキャンペーンを展開したことがあった。と同時に東京近郊の日帰り観光地を取り上げてホリデーツアーのPRを行なった。その中で川越も対象地となり、小江戸川越の文字がポスター画面に踊っていたことを思い出す。それまでのキャッチフレーズは小江戸ではなく江戸の母が幅広く使われていたことも記憶している。

「城下町時代の川越藩日誌によれば、藩主が江戸からの帰りに川越城下の町並みを見て、小さな江戸のようだ」といったとする説を耳にしたこともある。しかし筆者の調べでは、小江戸の文字の初見は昭和8年(1933)に作られた新歌曲、長唄の「四季の川越」ではないかと思われる。その歌詞には「それ、紫のゆかりも深き大江戸に、名さえ小江戸の色添えて・・・」と唄われているのである。

ところで、今では定着した感の強い小江戸川越について、それはそれで良しとしながらも、歴史的背景からして古江戸川越への発想の転換も必要ではないかと考える今日このごろである。その理由、裏付けについては別の機会に記してみたいと思う。

記事:(や)

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